· 

ホクレンとカルビーの提携に寄せて

そもそもホクレンとカルビーの確執は何が原因だったのか?

ホクレンとカルビーとの確執は、カルビーがポテトチップス事業に本格的に参画したときから始まる。

カルビーはポテトチップス原料であるポテトを、この事業に参画した当初からホクレン経由ではなく、個々の生産者との直取引によって調達した。

なぜか?

当時のポテトの用途は生食用とデンプン用であった。中でも量的にほとんどをデンプン用が占めていた。デンプン用のポテトとポテトチップス用のポテトでは要求される品質は全く異なるものであった。

ポテトチップス用のポテトはデンプンの密度(比重、ライマン価)が高いことが最重要な品質基準であった。しかしデンプン用のポテトはデンプンの密度は問わずただ量だけが要求されていた。結果として一個重が大きい、やたらに大きなポテトが栽培されることにもなった。

これに対して工場で加工するポテトチップス用ポテトはポテト一個ずつの品質のバラツキを最小化することも必要だった。となると種イモの品質の平準化、肥培管理の標準化、収穫時期や作業の標準化など生産者と直接連携して品質向上に向けた取り組みが必要とされた。

しかし当時のホクレンの政策は一元集荷多元販売という考えで、生食用、デンプン用、ポテトチップス用の全てを同じ基準で集荷していたので、ポテトチップス用のポテトだけの品質基準を設けるとか、ましてや個々の生産者のポテトの品質を区別して評価するということはしていなかった。

そこでカルビーは生産者と個々に量と価格と品質を契約し、生産者と連携してポテト品質の向上と収量の拡大に向けて歩みを始めることになた。

ホクレンはこのようにホクレンを中抜きにしてホクレンの領域を侵害したカルビーのやり方に不快感を隠さなかった。そして1980年にカルビーのポテト調達量が10万トンを超えるようになり、もやはホクレンとしてはカルビーの傍若無人に見える振る舞いを見逃す事ができないほどの規模になってきて、カルビーに対してある行動に打って出た。

それはカルビーがポテト貯蔵施設を建設する計画を立て実行にうつる間際になって、農業委員会を介して農地転用の許可を出さないように工作しカルビーの行動を牽制する形で実行された。

カルビーとしては貯蔵庫が収穫前に完成しなければ収穫したポテトの貯蔵ができず、身動きが取れなくなることを恐れホクレンとの和解に向けて行動を起こした。両者の交渉の末に生産者との個別契約はそのままとしつつ、生産者へのポテト購買代金の支払いはホクレンを通じて行うということになった。

このことでホクレンとカルビーとの関係は一触即発の危機を脱した。その後カルビーは原料調達部門をカルビーポテト社として独立させ、本社を帯広に置き、北海道に根を下ろし北海道各地の単協との関係を深めた。また単協もポテト貯蔵施設を独自に建設したり、加工ポテト生産者組合を作ってカルビーとの関係を深めてきた。

またカルビーは株式上場にそなえて安定株主つくりの一環として上場前に第三者割当増資を行い、従業員持株会、取引先であった菓子卸商、と並んで北海道の単協に株式の引き受けをお願いしたという経緯もあり、単協およびその構成員たる生産者との関係は一層深まっている。

ポテト食品加工業を生業とするカルビーにとって、ポテトの品質と収量の継続的な改善はコアビジネスの基盤を強化するための戦略的な課題だ。

このためにこれまでもポテトの品種開発・品種改良、栽培技術開発・改良、収穫技術開発・改良、貯蔵技術開発・改良、輸送技術開発・改良を不断に積み重ねてきた。

これらの技術開発・改良はカルビーポテトを中心に様々な関係者との連携によって進展して来ているが、これをさらに深耕するにはポテトの栽培の前提となる輪作体系の進化と畜産堆肥による循環型耕畜連携の進化が不可欠なのだ。

そしてこれはカルビー単独では成し得ないものだ。畜産農家、畜肉加工業者、小麦・大豆・トウモロコシの加工業メーカーなどより幅広い関係者との協働が求められる。そしてこうした幅広い関係者の協働と共生こそが日本農業を強靭化し、食料自給率の拡大に貢献する活動に繋がるのだ。

今回のホクレンとカルビーの連携がそうしたビジョンを共有するものであることを強く願うものだ。

 

日経記事 「カルビーと農協半世紀越し和解」